「アチェは終わった…」

ある老人が吐き捨てるようにつぶやいた一言が、頭から消えない。眼前のすさまじい光景に、僕はただ立ちすくんだ。

大津波から4日後のバンダアチェ。海岸部は瓦礫と泥に覆われた「更地」と化していた。視界を遮るものは何もない。海岸までが一望できる。

「海まで5キロはある。だが、すべてが流された」

案内してくれた地元紙の写真記者、アアンさん(25)が言った。

「もちろんおれのオフィスもない。友人の安否もわからない」

 

メダン発アチェ行きのバスは、立ち乗りの乗客で通路まで埋まっていた。家族の安否を確認するため、多くの人が余震の続くアチェを目指していた。

「両親がバンダアチェに住んでいる。もし再会できたら、メダンに連れて帰る」。そう語った男性は、財布しか手にしていなかった。

 

道行く人は皆マスクを着けていた。穏やかな青空の下、しかし街は臭かった。茶色の泥を伴った海水と、放置された死体の臭いが混じり合い、人々の営みの残骸に覆いかぶさっているようだ。

 

恐らく僕は死体を見過ぎた。誤解を恐れずに言えば、それに「慣れて」しまった。犠牲者は余りに多過ぎた。

「死体と瓦礫の片付けに来たが全然追いつかない。もうあきらめた、なるようになるだろう」

がれきの中で中年の男が興奮気味にまくしたててから、付け加えた。

16人…家族と親類16人が行方不明だ」

生き残った彼の声が震えた。夕闇が迫っていた。

 

 

(東京新聞栃木版掲載 2005.1.19)

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